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お香の歴史 香料の歴史は、紀元前のメソポタミア、エジプト文明の時代から植物の利用法と共にすでに始まっています。 世界のお香は「西洋の乳香、インドの白檀、中国の沈香」と称されていますが、ここでは日本へ入ってきたお香のルートをご紹介しましょう。 お香そのものは、538年の仏教の伝来と共に中国から日本へ伝えられたと言われています。いわゆる仏教儀礼に各種お香が使用されるためです。仏、仏像に供える供香、僧侶の清めや護摩のためのものなど、現在でも仏教にお香はつきものです。 では、なぜ仏教儀礼でお香を使用することになったのでしょうか。 それは仏陀に始まります。仏陀が傍らでお香を焚きながら瞑想しているレリーフが残されており、さらに入滅の際には香木を積み上げて荼毘に付し、舎利を得たと伝承されているのです。 仏陀が生前お香を好んだということから、入滅後、弟子たちは仏陀を偲んで焚くようになりました。 なお、日本の書物にお香が登場するのは『日本書紀』、『聖徳太子伝暦』からです。 『聖徳太子伝暦』には6世紀末、沈香が淡路島に漂着し、焚いてみるとすばらしい香りだったと記載されています。ただし、この記載内容は玄奘三蔵法師の『大唐西域記』からの転載部分もあると思われます。 聖徳太子は仏教を厚遇し、国の興隆に努めました。焼香をはじめとする仏教儀礼で使用されたお香は、恐らく全国に広がっていったことでしょう。 その後、唐から渡来した鑑真が仏教、美術、医療の他、漢方香料の調合法をもたらしたことによって、お香は仏教儀礼だけでなく、平安時代の公家、貴族、僧侶たちの「香りを楽しむ」という文化も加わりました。 ここにおいて、中国から伝えられた練香は「六種の薫物」のような季節感をも織り込む日本独自の雅な香りに生まれ変わりました。 武士の世が到来すると、彼らは禅宗の影響も受けて沈香のみを焚くようになります。これらは、中世以降の歌学により磨かれた美意識によって組香が準備され、やがて東山文化の中、香道という奥深く洗練された道へ発展していきました。香道では各々の沈香を「六国五味」で分類、表現します。 江戸時代に入ると、線香の技術が中国から伝えられました。現在、最も普及しているお香、線香の歴史は浅い方なのです。便利なゆえ、線香は主流となったと思われます。 江戸時代といえば、徳川家康、織田信長、豊臣秀吉も香に見せられていたようですが、家康にいたってはその香好きのエピソードは数々残されています。徳川家の香コレクションは徳川美術館に収蔵されており、その数は膨大なものです。 時は下って、明治維新。西洋文化の到来にともない、日本の伝統文化は一時停滞します。また、復古運動により国家神道が保護され、仏教が衰退する時期がありました。 しかし、その後の国粋主義で、伝統文化に再びスポットライトが当てられ始めました。 ところが、昭和の戦争のもの不足で、焼香の原料の供給ができず、「サクラ香」や「ボタン香」という樹木だけの焼香になった時期があり、その頃から煙臭いお香は抹香臭い(抹香はタブの木のきざみ、粉。沈香、白檀を加えたものもあり。焼香の火種になる)と言われるようになってしまったのです。 戦後、西洋文化の流入により、食品など様々な香りが輸入され、私たちの嗅覚もだんだんと変化してきました。そのような中、茶道、華道は発展、大衆化しましたが、もともと限られた世界のお香はまだまだ知られていない状況です。香木が高価で入手しにくいことなど様々な要因が考えられますが、調合法が長らく秘伝とされていることもそのひとつでしょう。 1980年代にはアロマセラピーが日本でも普及し、その目的、使用法は多様化してきました。 アロマセラピーの普及によって、香りへの興味が定着し、香りを焚くという習慣が浸透してきたまさに今、再び日本伝統の香りを体験する時期がきているのではないでしょうか。 古典調合に習いつつ、現代の私たちに合う新しいお香を自らの手で創造するという、新たなお香の歴史の幕開けです。 | |
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